[雑記] 続々・高校野球の大罪~(個人的には)16年前と何も変わっていない高校野球の問題

まあ何といいますか、定期的に話題に上がるものの一向に良くならない問題の代表みたいなのが高校野球の全国大会(いわゆる甲子園)だなあと思うわけですね。
「残酷ショー」としての高校野球(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20140831-00038729/
今年は軟式野球の大会という例年とは違う視点から問題が出てきましたが、本質は同じといいますか、私個人としては15年位前からネット上に意見表明してからですが、まるっきり何も変わっていないようです。
最近、自分として気づきがあった(言葉に出来る程度の整理ができたとでもいいましょうか)ことが2つあるとすれば、1つは、高校野球の全国大会は、「アマチュアスポーツなのに興行論がまかり通っている極めて矛盾に満ちた世界」だということですね。
上記リンクの方が表現されている「残酷ショー」=「リアリティーショー」というワードにも、それがよく現れていますね。24時間テレビなどで「○kmマラソン」という企画があり年々距離がエスカレートしているのも、まあ割合これと同じ構図だと思いますが、あちらはアマチュアスポーツではなくギャランティも発生しているようなので、高校野球の構図とは全く異なると思います。だからこの企画が真っ当な企画なのかどうかは、また別の次元で問われると思いますが。
今回話題に上がった高校軟式野球の全国大会は「サスペンデッドゲーム(その日の延長で決着しなかった場合は、翌日に延長戦の続きを行う。つまり翌日の試合は初回に決着することもありうる)」を採用しています。正直、軟式野球大会は硬式と比べ興行としての色が弱い、すなわちテレビ放映もなければ観客数も少ないので、興行論におもねる必要がないということなんだろうと推測します。
※まあただ、私のように高野連批判をしている人たちの中に多い「硬式大会はなぜサスペンデッドゲームを導入して投手負担を軽減しないのか」論にも、こんな穴があるとは想像していなかったというか、今回のは異例すぎるという感もありますが、それを言い出すときりがないのでそれはさておくとしましょう・・・。
実際、私達のような高校野球のあり方に疑問を投げかける層に対する批判として、
  • 日程伸ばして間隔開けて、その分の滞在費用は誰が持つのか
  • 甲子園は阪神のホームなんだから日程を伸ばせるわけがない
  • サスペンデッドにして翌日1回裏で試合が終わったら観に来た観客が白けるだろう
  • 日中の暑い時間を避けてナイターにしたら観戦客が帰れなくなるだろう
  • やってる側はそれを望んでいる(投げずに負けるより投げて負けたほうが悔いがない)んだから邪魔するなよ、お前どうせ未経験者の外野だろ

的なものが散見されますが、大体は興行論からの批判ですよね。どれも選手の目線での話ではないところがポイントです。
まあ最後の一つは「やってる側はそれで満足してるんだから口出すな」少し柔らかく言えば「青春を謳歌している若者の邪魔は無粋」みたいな論ですが、そこを諭し正しい方向に導くのが教育、アマチュアスポーツの精神ではないかと思うんですね。
極端に言うと、いわゆる未成年飲酒、喫煙、危険ドラッグ等々も、やっている本人たちにすれば「青春を謳歌している」ことには変わりないわけです。いやいやそれは違法行為だし、と言われそうですが、どれも本人へのリスクが極めて高いから違法になっているわけですよね。選手の健康を損なうリスクが高いと割とはっきりしている投手の連投や酷暑下の試合だって、違法ではないにしろ是正されるべき行為とは言えないでしょうか。
あとは、あれですかね。オリンピックも随分前にアマチュアスポーツの祭典という看板を下ろしたことですし、高校野球もアマチュアスポーツの看板を下ろしたらいいんじゃないですかね。賞金制にするとか、選手個人にも活躍に応じた報酬を払うとか(笑)
そして、気付きのもう1つは、昔は、純粋に高野連の無策、高野連は頭が硬い化石のような連中、高野連は利権に溺れた金の亡者(注:あくまで妄想ですよ)・・・とか、高野連を非難することしか考えていなかったのですが、結局、これって高校野球を観る側の問題なんだろうなあ、ということです。
政治に対する批判と、よく似ていることに気づきます。政治のレベルが低い、と言われるのは、実はそれを選んでいる有権者のレベルの問題なんじゃないか、ということですね。
高校野球が興行論と表裏一体となっている以上、興行の重要な担い手である観客の意思は、どうしたって無視できないという面もあるのかなあとも思っています。
興行として間違っていると示すには、こういうブログでダラダラと文句を垂れるのもまあ黙っているよりはマシなのかもしれませんが、重要なのはその興行にお金を落とさないこと、つまり、メディアで取り上げているならそれを観ないこと、しかないのかなあと思ったりもしていて、たぶん私は今後も高校野球を積極的に観戦することはしないと思います。
最後に、以下は、自分の会社のブログに載せていた8年前(2006年)の記事の転載です。その記事でさらにその8年前の自分のHP上の記事について引用していて、都合16年は何も変わっていないのだなあと思い、今回の記事を書いてみた次第です。
高校野球の大罪 | Knowledge-ex. Blog
http://www.knowledge-ex.co.jp/blog/?p=54
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野球は好きな私ですが、高校野球は嫌いなのでほとんど見ません。
以下は、私が8年ほど前に自分のHPに載せていた文章ですが、今もその状況は変わっていないとわかり、高野連の無策にただ呆れるばかりです。
なにぶん学生時代の文章なので、若干痛々しい表現もありますが若気の至りということでどうかご容赦ください。リンク切れなど注が必要な部分を除いて、ほぼ当時載せていたまま再掲します。
また、トラックバックさせていただいた「見物人の論理」(「念仏の鉄」さん)がとても参考になりますので是非見てみてください。
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続・高校野球の大罪
「続」になっているのは、前にも似たような事を書いているからです。興味のある方は、こちらを。(注:当時は「こちら」にはリンクが張ってありました)
僕は、野球がとても好きです。最近、更新をさぼりっぱなしとはいえ、一応、野球のページを作ってるくらいですから(注:当時はありました)。でも、高校野球だけは大嫌いです。以前、「嫌い」=「否定」ではない、とこのページ(注:当時のHPです)で言いましたが、高校野球に関しては「嫌い」かつ「否定」です。試合の中継は、過去のある時期までは見ていましたが、嫌いになってからは、積極的に見た事はありません。「熱湯甲子園」(熱湯は誤字ではなく伏せ字)など、もってのほかです。スポーツニュースで結果だけ(プロ野球の結果の余韻で流し見ている) を見るくらいです。
佐賀学園の山口という投手が、大会中に疲労骨折をしました。あまり憶測でものを言ってはいけない(このページはもともと憶測だらけかもしれないですが)と思い、これを書く前に、この件に関しての情報をWWWとfjで探したのですが、探しかたが悪いのか、意図的に報道をしていないのか、ほとんど見つかりませんでした。
というわけで、憶測で書きますが、彼が疲労骨折をしたのは、まず間違いなく登板過多でしょう。だって「疲労」骨折なわけだし。とても悲しい事です。本人は別に後悔していないかもしれないじゃないか、精いっぱい投げて、結果故障したのだから、という声も聞こえてきそうです。もしかしたらそうかもしれません。
だからといって選手が故障するのを黙って周りが見ているのは、おかしな話で、普通なら、そうなる前に周囲が止めるべきなのではありませんか?身体を壊してもいいから投げたい、などという考え方がよくないことを周囲が教えてあげるのが先かも知れませんが。
スポーツなんだから故障はつきものだ、という声もありそうです。たしかに、偶発的に起こった事故による故障には避けられないものも多いでしょう。でも、登板過多で故障したとなれば、話は別です。
投手は自分の希望で好き勝手に投げられる訳ではありません。あくまで監督が指名して、登板する訳です。ですから、登板過多は投手自身の責任ではありません。無論、監督の責任です。未然に防げたのに、なんの対策も講じなかったのですから、これは明らかな人災、過失であり、ほとんど犯罪に等しい行為です。高校生の身体で、先発で連投を続けたら(プロですらやらないのに!)、肩や肘を故障してしまうことくらい、誰でもわかりそうなものです。まさか、高校野球の監督の中に、にそんなこともわからないでやっている人が一人でもいるとは思いませんが、それでもこういった被害者が後を絶たない。
たとえ選手が投げたいと直訴しようが、疲労が蓄積していたり、連投が続いていれば止めるのが監督のあるべき姿だと思うのですが、多分そういう「普通の感覚」を持った監督の率いるチームは、地区予選で負けちゃうんでしょうね。エース級のピッチャーが、2人も3人もいれば別ですが、そんなチームには有名校じゃないとお目にかかれないだろうし、「普通の感覚」を持った監督は有名校の監督にはなれないだろうし。
ああいう被害者の痛々しい姿を見ていると、有名校の監督は、選手を「自分の生活の糧を得るための道具」としか見ていないのではないかといわれても仕方ない、と思う。
有名校の監督ともなると、勝てないとクビになるから、どうやっても勝ちに行く(甲子園に出て来るチームはバント、スクイズをめちゃくちゃ多用するでしょ)、勝つためには、当然チームで一番優秀な投手、すなわちエースを投げさせないといけない、しかも高校野球は地区予選からトーナメントだから、目の前の1試合を絶対に落とせない、勝ち続けなければいけない。だから、エースにも可能な限り投げてもらわないといけない。
勝ち続けなければ甲子園に行けないのは選手も分かっているから、頼まれればよほどのことがない限り断れない。そもそも監督の命令に逆らえるはずがないのだが。プロですらちょっと監督、コーチ批判をしただけで大目玉なわけだし。
中には純粋に「監督の信頼に応えたい」と思って連投に望んでいる選手もいるのかもしれないが、残念ながら監督はただ単に勝てばそれでいい、というだけの気持ちしかないのかもしれないのだ。で、エースの腕が疲労でポキっと折れたら、はい、ご苦労さん、と、2番手の投手を投げさせる。エースは使い捨てである。
マスメディアの扱い方もおかしい。こういったことに対して、ほとんど誰も問題提起をしていない。上の投手の件など、番組によっては、「故障のエース山口に代わり」と、疲労骨折であったことすら触れないものもあったくらいだ。登板過多による故障を「悲劇のヒーロー」のごとく美化することはあっても、これを批判することはない。だいたい、この問題は、それほど難しい対策が必要ではなくて、極端に言えば、
* 日程の間隔を十分空ける
* 投手の連投を止める
のどちらかをやるだけで十分に効果があるだろう。だが、そのどちらについても、マスメディアでは、ほんの一部そういうことがささやかれているだけのようである。
プロ野球の解説者などに、こういうことをうるさく言ってくれる人がいてもよさそうなものであるが(特に国会議員の人とかね)、そういう声もなかなか聞かれない。どうしてかな、と思っていたが、 asahi.com(朝日は夏の大会のスポンサー)にある 某有名野球解説者へのインタビューを読んで、ああ、こりゃだめだ、と思いました(注:該当のページはもうありません)。
プロで長くやっていて、それなりに有名な投手出身の解説者というのは、ほとんど甲子園を経験していて、しかも自分自身そこで実際に連投しているから、高校野球で連投することを、ほとんど気にかけていないみたいなのです。むしろその経験を、「いい経験になった」などと美化して自慢げに語る始末です。そういう投手が実は例外だということが、今一つピンときていないのです。一番選手の側に立って発言すべきだろうに、「日程を延ばすと、経費はかさむ。阪神球団との兼ね合いもある。さらに、休みが多くては盛り上がりに欠ける」(この部分は 元記事 から抜粋)などと、言ってのける。
だから、日程が詰まっているのは仕方ない、というわけです。そんなに甲子園でやるのが、阪神に迷惑だと言うなら、1回戦と、まあせいぜい決勝だけ、甲子園でやって、他の試合は他の球場でやればいいじゃないですか。そうすれば、「甲子園のグランドに立つために頑張ってきた」とか言ってる高校生も満足するでしょうに。
(もう全然言い足りないのですが、このことについては、以前に書いたもの(これ)もあるので、まあ、また時間があるときにでも、ということで)
そして、今日もまた、高校野球の大罪は、続くのです。
(1998年8月19日掲載)

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